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佐賀地方裁判所 昭和52年(ワ)229号 判決 1980年8月28日

原告

水間善次郎

ほか一名

被告

卜部勘治

ほか一名

主文

被告和田山精機株式会社は、原告水間善次郎に対し金一、三〇七万九、二四二円及び内金一、二〇七万九、二四二円に対する昭和五一年一二月六日以降完済に至るまで年五分の割合による金員、原告石橋ユキエに対し金一、一五五万五、八四二円及びこれに対する右同日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告らのその余の請求を棄却する。

訴訟費用のうち、原告らと被告卜部勘治との間に生じた分は原告らの負担とし、原告らと被告和田山精機株式会社との間に生じた分はこれを五分し、その二を原告らの負担、その余を被告和田山精機株式会社の負担とする。

この判決は、第一項に限り、原告らが各金二〇〇万円ずつの担保を供するとき、当該原告において仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求める裁判

原告らの訴訟代理人は、「被告らは、各自、原告水間善次郎に対し金二、〇七五万六、一五九円、原告石橋ユキエに対し金一、九二一万二、五五九円、及び右各金員に対する昭和五一年一二月六日以降完済に至るまで年五分の割合による各金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決並びに右第一項につき仮執行宣言を求め、被告ら訴訟代理人らは、それぞれ「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。

第二当事者の主張

(一)  請求原因(原告ら)

一  訴外水間直樹は、昭和五一年一二月五日午前零時四五分頃兵庫県加西市畑町一、八五五番地先路上で、訴外卜部芳夫運転の小型乗用自動車(神戸五六な二〇九二号)に同乗中、対面進行してきた訴外永田兼久運転の普通乗用自動車(姫路五五と五一三八号)と同乗車が衝突する交通事故に遭遇し、衝突の衝撃により脳底骨折の傷害を負い、即日死亡した。

二  原告らは、亡水間直樹の父母である。

三  被告両名は、被告和田山精機株式会社が右永田兼久運転の事故自動車、被告卜部勘治が右卜部芳夫運転の事故自動車の各運行供用者であるから、それぞれ自賠法三条本文により、本件事故による損害の賠償責任がある。

四  本件事故による損害は次のとおりである。

(1) 亡水間直樹の逸失利益 五、六八七万八、〇四〇円

亡水間直樹は、昭和五〇年四月から加古川刑務所に勤務していた法務事務官で、死亡当時一九歳であり、同年齢男子の平均余命五四年であるから、若し本件事故に遭遇しなければ、少くともなお四八年稼働し、その間別紙1ないし5記載のとおりの収入を得ることができた筈であり、生活費を二九歳まで五割、三十歳以降六〇歳まで三割、六〇歳以降五割として、年五分の割合による中間利息を差引き、右逸失利益の現価を算出すると、給与(賞与その他の手当を含む)四、八八九万七、二〇六円、退職手当五八七万九、九四四円、退職後の分二一〇万〇、八九〇円、合計五、六八七万八、〇四〇円である。

(2) 亡水間直樹の慰藉料 三五〇万〇、〇〇〇円

(3) 原告ら固有の慰藉料 三五〇万〇、〇〇〇円

原告らは、亡水間直樹の父母であり、最愛の息子を失い、深い精神的苦痛をうけたので、慰藉料として各一七五万円ずつ請求する。

(4) 原告水間善次郎が負担した医療費 四万三、六〇〇円

(5) 同葬儀費用 五〇万〇、〇〇〇円

(6) 同弁護士費用 一〇〇万〇、〇〇〇円

(7) 自賠責保険からの填補金 二、五四五万二、九二一円

右(1)、(2)の亡水間直樹の損害は合計六、〇三七万八、〇四〇円であるが、原告らは同人の父母として右損害賠償請求権を相続したところ、自賠責保険から二、五四五万二、九二一円を受領したので、これを控除した残額三、四九二万五、一一九円につき、原告らの各々の分が一、七四六万二、五五九円ずつである。

五  よつて、被告ら各自に対し、原告水間善次郎は、右(1)、(2)の残額一、七四六万二、五五九円に(3)ないし(6)を加えた合計二、〇七五万六、一五九円、原告石橋ユキエは、右(1)、(2)の残額一、七四六万二、五五九円に(3)を加えた合計一、九二一万二、五五九円、及び右各金員に対する本件事故の翌日、昭和五一年一二月六日以降完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(二)  答弁(被告卜部勘治)

一  請求原因一、二は認める。

二  同三のうち、被告卜部勘治が卜部芳夫運転の事故自動車の運行供用者であることは認める。

三  同四、五は、四、(7)の自賠責保険からの填補金二、五四五万二、九二一円を除き、その余を争う。

四  本件事故の損害に関する原告らの主張のうち、請求原因四、(1)の亡水間直樹の昇給等の主張は、(イ)、それ自体あくまで予測に過ぎず、(ロ)、また同人がしていた刑務所看守という職業は中途退職者の多い職業であり、(ハ)、更に、退職勧奨の点も遠い将来の予測の域を出ず、公務員定年制の導入すら検討されている今日不確実に過ぎるというべく、(ニ)、退職後の平均賃金の収入を前提とする部分も安易に過ぎる。因みに、亡水間直樹死亡当時の一九歳の者の全国平均賃金は年額一二一万四、七〇〇円であり、生活費控除を五〇パーセントとし、新ホフマン係数二四・一二六により逸失利益を試算すれば、一、四六五万二、九二六円に過ぎないのである。

(三)  答弁(被告和田山精機株式会社)

一  請求原因一、二は、そのうち訴外永田兼久運転の事故自動車が加害車であるとの点を除き認める。

二  同三のうち、被告和田山精機株式会社が訴外永田兼久運転の事故自動車の運行供用者であることは認める。

三  同四、五は争う。

(四)  抗弁(被告卜部勘治)

一  原告らは、被告ら両名加入の自賠責保険に被害者請求をし、合計二、五四五万二、九二一円を取得している。なお、付言するに、右自賠責保険金の限度は合計三、〇〇〇万円であつた。

二  本件事故は、訴外永田兼久運転の事故自動車が対面進行中の訴外卜部芳夫運転の事故時自動車の走行車線に、センターラインを越えて突入したため発生したものであり、被告卜部勘治及び訴外卜部芳夫に何ら過失がなく、同被告車に構造上の欠陥、機能上の障害もなかつた。従つて、被告卜部勘治は、自賠法三条但書により本件事故の損害賠償義務を負わない。

三  仮に、訴外卜部芳夫に何らかの過失があつたとしても、亡水間直樹は訴外卜部芳夫の好意同乗者であるから、損害賠償額の算定につき、右の点を減額要素として斟酌されるべきである。

また、本件事故については、被告卜部勘治車の自賠責保険からも一、二七二万六、四六一円が支払われているところ、右支払は、訴外卜部芳夫に対する不起訴の刑事処分がなされる以前、従つて保険調査事務所で刑事記録による右訴外人の無過失が立証できない段階になされたものでもあり、右支払いによつて訴外卜部芳夫の過失を決すべきでないことはいうまでもない。

しかし、それはともかく、被告卜部勘治も自賠責保険により右のとおり多額の支払をしているので、仮に原告らの損害が自賠責保険の合計支払額を上廻るとしても、原告らは、もう一方の加害自動車である相被告車に比しはるかに責任割合が軽く、しかも好意同乗の関係にある被告卜部勘治車に対しては、信義則上これ以上の請求をなし得ないと解すべきである。

けだし、相被告には十分支払資力があり、かく解しても原告らの救済に欠けるところがないのみならず、逆に被告卜部勘治がこれ以上の賠償金を支払うとすれば、当然相被告らに求償しなければならず、いたずらに事態を紛糾させるだけだからである。

四(1)  本件事故の衝突地点は、訴外卜部芳夫が走行していた東行き車線上、路端から約一・三メートルの処であり、これは、同訴外人走行車線の中央より更に路側寄りであつて、事故当時、訴外永田兼久運転の相被告車が一方的にセンターラインをオーバーして、反対車線を対面進行中の被告卜部芳夫の運転車に突つ込んでいることが明らかである。

(2)  また、事故現場の制限速度は最高時速四〇キロメートルであるところ、双方の事故自動車の衝突直前の速度は、訴外永田兼久運転の相被告車が時速一〇〇キロメートルないし一三〇キロメートル、一方訴外卜部芳夫運転の被告卜部勘治車が時速五〇キロメートル以下であつて、右のような猛スピードを出していた相被告車において、ゆるやかとはいえ左カーブになつている現場を曲り切れなかつたことが、前記のように反対車線に突つ込んだ原因であろうと推定できる。

(3)  訴外卜部芳夫は、事故以前睡眠十分で体調もよく、アルコール類も一切飲用しておらず、見とおしがよく、走行車両のない現場においてさえ、制限速度を厳守し、運転に万全の注意を払つていた。しかして、前記のとおり相被告車が時速一三〇キロメートル、訴外卜部芳夫運転の被告卜部勘治車が時速五〇キロメートルで対面走行したとすれば、両車の相対速度は時速一八〇キロメートル、秒速五〇メートルにもなり、現場の見とおしが約一二四メートルであるから、訴外卜部芳夫が相被告車を発見しても、二・五秒後には衝突する計算にならざるを得ず、この間、同訴外人に衝突回避のためどのような措置を求めることも不可能であつた。

(4)  要するに、本件事故の原因は、制限速度の三倍もの猛スピードを出していた相被告車が、そのスピードの故に左カーブを曲がり切れず、完全に反対車線に飛び出し、制動もかけぬまま訴外卜部芳夫運転の被告卜部勘治車に衝突したことにあるのである。

(五)  抗弁(被告和田山精機株式会社)

一  本件事故現場の道路は、南側が大池、北側が農地に接し、西行き車線からみると左側にカーブしており、両側にガードレールを設けられていて、中央線より片幅三・五六メートルの県道である。

しかるところ、本件事故は、被告和田山精機株式会社車の運転者である訴外永田兼久が制限内速度で西行き車線を西進し、現場の左カーブで中央線に近づき、カーブの内側を曲進しようとしたとき、対面進行してきた訴外卜部芳夫運転の相被告車が中央線に接近し、中央線をオーバーする姿勢でその左前部を被告和田山精機株式会社車の右前部に激突させたため発生したものである。

そして、衝突後同被告車がやや北向き(西北)に中央線を越え、相被告車がやや南向き(東南)にガードレールに近づいて、それぞれ停止したものであり、本件衝突事故の責任は、専ら相被告車の側にあるのである。

二  相被告は、本件衝突時の両車の速度を、訴外永田兼久運転の被告和田山精機株式会社車が時速一〇〇キロメートルないし一三〇キロメートル、相被告車が時速五〇キロメートル以下であつた旨主張するが、若しそうだとすれば、両車衝突の結果、相被告車北側のガードレールの破損が必至である筈であるのに、現実には殆んどその破損がない。後でまた述べるけれども、本件事故の実態に関する相被告の主張は、現状無視の独断であり、その提出にかかる証拠のうち、実況見分調書、鑑定書等にも、重要な点で真実に合致しない部分がある。

三  訴外永田兼久は、かねて本件事故現場を社用で毎月何回か往復して、道路事情に精通しており、殊に本件事故当時、多数の近親者を同乗させ、且つ、妻照子運転の他の自動車も後続させる、という特殊な事情にあつたうえ、平素非常に慎重な運転をする性格であつて、同訴外人がセンターラインを越え対向車と激突するなど、遺族一同にとつて想像もできないことである。

他方、相被告車を運転していた訴外卜部芳夫は、本件事故までに事故現場を一、二度通つた程度で、現場の道路事情に暗く、しかも運転免許所得後一年位で、運転の経験も浅い実情であつた。更に、同訴外人は、本件衝突時前後の事情につき一切記憶がない旨述べており、同訴外人が警察官の取調べをうけたのも、事故の七ケ月後であつて、左様であるとすれば、相被告提出の本件両事故自動車の速度鑑定結果も、仮定を前提とするものといわざるを得ず、信憑性がない。

四  相被告は、その主張事実を立証すべき証拠として実況見分調書や鑑定書等を提出しており、これらには、本件事故による被告両車の衝突直後、訴外卜部芳夫運転の被告卜部勘治車が、道路北側の高さ〇・六五メートルのガードレール上に、車両の前方を東、後尾を西にして、ガードレールをまたぐ状態で停車していたことが記載されている。

しかし、相被告車は総重量一、二三五キログラムあり、更に運転者訴外卜部芳夫と被害者水間直樹の二人が同乗していたのであるから、かかる重量のものが、高さ〇・六五メートルのガードレールに馬乗り状態で停車するが如き状況を到底考え得ないうえ、若し、そのような事態が仮にあつたとすれば、ガードレールも当然大破、損壊すること必至である筈であるのに、現実には、当該個所のガードレールは僅かにポールの小キヤツプが一個外れているに過ぎない状態であつた。

このように、右各証拠の記述はいずれも真実性がなく、引いて相被告の主張も、証拠の裏付を伴わぬ独断に過ぎないものであり、要するに、本件衝突事故の原因は、前記の如く相被告車の運転者である訴外卜部芳夫の一方的な有責運転にあるのである。

(六)  被告らの抗弁並びに主張に対する原告らの答弁

一  被告卜部勘治の抗弁事実一のうち、原告らが双方事故自動車の自賠責保険から合計二、五四五万二、九二一円の支払をうけたことは認める。

二  被告らの免責の抗弁事実を争う。

(1) 被告卜部勘治は、本件事故が相被告車の運転者、訴外永田兼久の一方的過失により発生した旨主張するのであるが、同訴外人は本件事故で死亡し、もう一方の加害自動車の運転者である訴外卜部芳夫も事故現場での記憶が全くない、というのであり、他に事故の目撃者は全然存在していない。

しかして、同被告がその主張を裏付ける証拠として提出した鑑定書には、事故当時の被告卜部勘治車の時速五〇キロメートル以下、被告和田山精機株式会社車の時速一二〇キロメートル以上との記載があるけれども、鑑定結論の右時速五〇キロメートル以下には当然時速五〇キロメートルも含むものであるほか、その結論自体、机上の計算による推定に過ぎず、各計算の過程その他納得行く説明が全くなされておらず、皆目理解できないものである。

また、右鑑定書の前提となつている衝突地点についても、当時事故現場に残されていた痕跡付近と考えられるという記載は、右痕跡が本件事故により発生したものか、事故当時以前から既に存在していたものかの区別が明瞭でなく、右痕跡が本件事故によつて発生したものとの仮定を前提にしての推定に過ぎないからこそ、右のように、考えられる、等という曖昧な表現になつているのである。

右のとおり、本件事故の原因が何であつたかは、被告卜部勘治提出の証拠によつても不明というほかなく、また、その余の免責要件である加害自動車の構造上の欠陥、機能上の障害がなかつたとする等の点も全く立証がなされていない。

(2) 被告和田山精機株式会社の主張も、運転者である訴外永田兼久及び同被告らの無過失の点の立証、並びにその余の右同様な免責要件事実に関する主張立証がないので、到底失当たるを免れない。

第三証拠〔略〕

理由

請求原因一、二の事実は、被告和田山精機株式会社において、訴外永田兼久運転の同被告車が加害自動車であることを争うほか、当事者間に争いがなく、同三のうち、被告卜部勘治が訴外卜部芳夫運転の事故自動車である同被告車、被告和田山精機株式会社が訴外亡永田兼久運転の事故自動車である同被告車の各運行供用者であることも、当事者間に争いがない。

被告卜部勘治は、本件事故につき、訴外永田兼久運転の相被告車が対面進行中の訴外卜部芳夫運転の被告卜部勘治車の走行車線に、センターラインを越えて突入したため発生したもので、被告卜部勘治側に過失がない旨、自賠法三条但書の免責を主張し、被告和田山精機株式会社も、逆に、本件事故が相被告車の運転者である訴外卜部芳夫の一方的過失により発生した旨同様の主張をするところ、原告らはこれを争うので、以下まずこの点について判断するに、成立に争いがない乙イ三号証の一ないし八、同四号証ないし九号証の各一、二、乙ロ一号証の一、二、同八、九号証、同一一号証ないし一四号証、同一六号証の七、八、一一、一八、同一七号証の二、三、証人永田照子の証言により成立を認める乙ロ四号証ないし七号証の各一、二、証人卜部芳夫、同永田照子(後記措信しない部分を除く)、同三森石雄、同三森章平、同石田貴秀、同池下弘磨の各証言、及び前記争いがない事実、並びに被告代表者本人尋問の結果を総合すると、次のように認めることができる。

すなわち、本件事故現場は、兵庫県加西市の西方を加西市内から山崎方面に向け、現場付近で略々東西に通ずる県道三木山崎線上、加西市畑町一、八五五番地先路上であること、現場付近の道路は、車道の総幅員六・六メートル、片側約三・三メートルの上下各一車線、アスフアルト舗装で、中央に黄色の実線による中央線の表示があり、車道の両側に幅約〇・五メートル、コンクリート舗装の路側帯、更にその外側、道路の両端にガードレールが設けられていること、また、現場付近道路の北側は田畑、南側は大池であるが、衝突地点の西方が略々直線道路になつているのに対し、衝突地点あたりから東方が、南側に約三〇度程度のゆるやかなカーブになつていること、そして、衝突地点のやや東方には、道路南側に面して一軒のレストハウスがあり、上下車両相互の見とおしが必ずしも良くなく、速度規制としても、最高速度時速四〇キロメートルに制限されていること、事故当時、訴外卜部芳夫は、被告卜部勘治車の助手席に、勤務先加古川刑務所の同僚訴外水間直樹を同乗させて運転し、兵庫県飾磨郡福崎町方面から加古川市方向に向け、深夜のこととて通行車両の少ないなかを、西方から本件事故現場にさしかかり、通行区分どおり左側(北側)車線を進行していたこと、なお、訴外水間直樹は、前日が非番であつたことから、日中訴外卜部芳夫の運転で神戸市内に出かけ、夜加古川市内の勤務先独身寮での集会に出たあと、他の同僚を前記福崎町まで送ることになつた同訴外人に同道を申出て、同町方面からの帰途であつたこと、他方、訴外永田兼久は、当日、妻照子と三人の子供、及び当時被告和田山精機株式会社工場長の実弟永田康雄、同じく実弟で同被告会社々長の訴外永田哲也、その家族らと共に神戸市内に出向き、夕方同市垂水区の親戚宅に立ち寄つたのち、兵庫県朝来郡和田山町の自宅に帰るべく、本件被告和田山精機株式会社車の助手席に右永田康雄、後部座席に右永田哲也と同人の妻愛子及び同人らの子供二人を同乗させて、自ら同車を運転し、他の乗用車一台に妻照子と子供三人を乗せ、その方を妻照子に運転させて、右親戚宅を出発したこと、そして、神明高速道路を経て、本件の県道三木山崎線に入り、事故現場の手前で先行の妻照子運転の車両を追い抜いたうえ、前記ゆるやかな左カーブの道路に副い、東方から本件事故現場にさしかかつたこと、本件事故は、前記東行きの訴外卜部芳夫運転の被告卜部勘治車と、西行きの右訴外永田兼久運転の被告和田山精機株式会社車が、事故現場で略々正面衝突したものであり、事故の結果、双方の車が互にその右前部あたりを中心に車体内部に至るまで大破し、スクラツプ同然になつたうえ、訴外水間直樹、同永田兼久、同永田哲也の三名が即日死亡し、訴外卜部芳夫、同永田愛子、前記永田康雄らもそれぞれ重傷を負つたこと、事故発生後、間もなく警察官や消防署の救急隊員など多数駈けつけ、通り合せた民間人も加わつて、死傷者の救出、病院への搬送等が行われたのち、警察官による実況見分が実施され、更にその後、まず西行き(南側)車線にかかつていた被告和田山精機株式会社の事故車をひとまず東行き(北側)車線に移す等の措置がとられ、最後に、レツカー車によつて双方の事故車が現場から取り除かれたこと、右実況見分の結果、事故現場の東行き(北側)車線上では、道路北側端の関電々柱、畑池一一号を基点に、その東方二二・七メートル付近、車線の中央あたりから、基点東方一三、四メートルの車道北端に向け、大小さまざまな擦過痕、タイヤ痕、にじり痕等、うち擦過痕の多い二〇メートル付近には路面をえぐつた痕跡もあり、被告卜部勘治車が基点東方五メートル位の処で、東向きに北側ガードレールをまたぐ状態で停止し、その東方数メートルのガードレールにも損傷があつたこと、また、被告和田山精機株式会社車は、西行き(南側)車線上の右基点から一〇メートル位の処に、前方が中央線にかかる状態で西向きに停止し、その付近手前に中央線と平行に長さ数メートルのにじり痕があつたこと、その後、兵庫県警察本部刑事部科学検査所の警察技術吏員河合一郎が、右事故現場の痕跡や双方事故自動車の損傷状況等を資料に鑑定し、衝突地点は、右東行き(北側)車線上の擦過痕が始まつているあたりで、衝突後、被告和田山精機株式会社車が約一二メートル前方(西南方向)に滑走して停止し、被告卜部勘治車が北西方向に一〇数メートル、前記ガードレールの上まで押し戻されたものであり、双方の重量や衝突後の運動等から逆算して、衝突時の速度が被告卜部勘治車時速五〇キロメートル以下、被告和田山精機株式会社車時速一〇〇キロメートル以上一三〇キロメートル以下の各鑑定結果になつたこと、なお、右検査所での鑑定により、被告卜部勘治車の底部(車台)クロスメンバー後方フレーム部に付着していたアスフアルトが前記事故現場の擦過痕周辺のアスフアルトと同質のものであつたこと、以上の各事実を認めることができ、成立に争いがない乙ロ一〇号証、同一六号証の六及び証人永田照子の証言中右認定に反する部分は、前顕乙イ三号証の三、同四号証の一、二等と対比して措信できず、他に右認定を覆すに足る証拠は存しない。

右認定した事実によれば、本件事故は、訴外永田兼久運転の被告和田山精機株式会社車がゆるやかな左カーブの事故現場で、中央線を越えて反対車線に進入し、折から反面進行していた訴外卜部芳夫運転の被告卜部勘治車と正面衝突し、衝突後被告卜部勘治車を後方に押し戻したもので、衝突時の速度も、それぞれ被告卜部勘治車時速五〇キロメートル以下、被告和田山精機株式会社車時速一〇〇キロメートル以上一三〇キロメートル以下と認めるのが相当であり、そうすると、前記被告和田山精機株式会社の主張の理由がないことは明らかであるが、被告卜部勘治については、事故当時深夜で走行車両が少なく、偶々前方の見とおしも限られていたことや、相被告車の速度等を併せ考え、運転者である訴外卜部芳夫に運転上の過失を認め得ないといわなければならず、自賠法三条但書のその余の免責要件も、本件の場合事故の発生と関連性がないと認められるので、結局、その免責の主張は理由がある、といわざるを得ない。

そこで、次に、被告和田山精機株式会社との関係で、本件事故による原告ら主張の損害につき判断するに、原告らが訴外亡水間直樹の父母であることは当事者間に争いがなく、成立に争いがない甲一、二号証、同三号証の一ないし四(加古川刑務所長に対する調査嘱託の結果に同じ)、同四号証の一ないし一三、同五号証の一、同六号証の一ないし四、原告水間善次郎本人尋問の結果、及びそれにより成立を認める甲五号証の二ないし一六、前記争いがない事実を総合すると、次のように認めることができる。

すなわち、亡水間直樹は、昭和三二年一月一一日原告らの長男として出生し、昭和三四年一二月父母である原告らの協議離婚後、父原告水間善次郎に養育され、昭和五〇年三月佐賀県立多久工業高校を卒業後、公務員試験を経て同年四月一日法務事務官に採用され、昭和五一年一二月五日の本件事故当時満一九歳であり、加古川刑務所の看守として、公安職給与表七等級四号俸、月額八万四、四〇〇円の給与を得ていたこと、そして、(1)、若し本件事故に遭遇しなければ、退職勧奨年齢の六〇歳に達するまで四二年勤務できた筈であり、その間、別紙1、2記載のとおり、(イ)、昭和五二年三月まで三ケ月分右月額八万四、四〇〇円、同年四月以降三ケ月分ベースアツプにより月額九万〇、一〇〇円、同年七月以降定期昇給により七等級五号俸となつて、翌昭和五三年三月まで九ケ月分月額九万三、三〇〇円、同年四月以降三ケ月分ベースアツプにより月額九万六、〇〇〇円、同年七月以降定期昇給により七等級六号俸となり、以後毎年七月に一号俸ずつ定期昇給して、遅くとも採用後一六年の昭和六六年七月六等級に昇格し一六号俸、その後更に毎年一号俸ずつ定期昇給を続け、昭和八三年七月六等級三三号俸に昇給後、頭打ちとなつて一年八月後の昭和八五年一月、月額二、七〇〇円アツプの枠外一になり、その後は二年に一度右同額の昇給をしながら、枠外四で昭和九二年四月一日付勧奨退職に至るまで、別紙2の給与欄記載金額の各給与、(ロ)、毎年三月一五日、六月一五日、一二月五日にそれぞれ原告ら主張の割合による期末手当、勤勉手当として、別紙2の期末手当(3/15)、期末勤勉手当(6/15)、同(12/5)欄記載金額の各手当、(ハ)、勤務の全期間を通じ月平均三三時間の超過勤務をし、原告ら主張の計算方法による超過勤務手当として、別紙2の超過勤務手当欄記載金額の超過勤務手当、(ニ)、同様に月平均三五時間の夜勤をし、夜勤手当として別紙2の夜勤手当欄記載金額の夜勤手当、(ホ)、同様に月平均一〇回の夜間勤務をし、夜間特殊業務手当として別紙2の夜間特殊業務手当欄記載金額の同手当、(ホ)、昭和九二年四月の勧奨退職時に、二号俸特別昇給した六等級枠外六、月額給与二六万二、五〇〇円を基準に、退職手当として原告ら主張の計算による別紙4記載の五九六万四、三四四円、をそれぞれ得ることができ、右(ホ)の退職手当金の関係では、死亡退職の時点で現実に支給された退職手当金八万四、四〇〇円を控除し、別紙4記載のとおり残額五八七万九、九四四円になること、更に、(ヘ)、亡水間直樹の右退職後を賃金センサスに依拠する原告らの主張もやむを得ないと考えられ、昭和五〇年賃金センサスにおける産業計、全労働者計、六〇歳以上の月額給与一一万四、二〇〇円、年間賞与等三四万七、六〇〇円であること、当裁判所に顕著な事実であるから、これを基準に、退職後就労可能年限六七歳までの得べかりし利益が別紙5の収入欄記載金額のとおりであること、右(イ)ないし(ヘ)の各逸失利益につき、生活費を五割(但し、退職手当金以外)として、ホフマン方式により年五分の割合による中間利息を控除し、その現価の総額を算出すると、別紙6記載のとおり合計四、一五六万四、六〇五円になること、及び(4)、原告水間善次郎が本件事故に関する医療費等として、亡水間直樹の死体損傷縫合処置料一万円、文書料四通四、〇〇〇円、診断書、明細書各一通料金二、〇〇〇円、合計二万三、四〇〇円を支出し、また(5)、原告水間善次郎の負担した亡水間直樹の葬儀費用が主張の五〇万円を下らないこと、以上のように認めるのが相当であり、右認定に反する証拠は存しない。

しかして、右(1)の逸失利益損害四、一五六万四、六〇五円、(4)の医療費二万三、四〇〇円、(5)の葬儀費用五〇万円であるところ、本件事故による慰藉料の額は、原告ら主張のとおり(2)、亡水間直樹に三五〇万円、(3)、原告ら固有の分として各一七五万円宛、計三五〇万円、また、(6)、原告水間善次郎が負担する弁護士費用についても、本件訴訟の内容、後記認容金額等一切の事情を総合して、主張の一〇〇万円を加害者に負担せしめるのが、それぞれ相当と認められるので、以上損害の合計は、右(1)ないし(6)を併せ五、〇〇八万八、〇〇五円(41,564,605+23,400+500,000+3,500,000+3,500,000+1,000,000=50,088,005)である。

しかるところ、原告らは、亡水間直樹の父母として、同人の死亡により右(1)の逸失利益、(2)の慰藉料請求権をそれぞれ二分の一ずつ相続取得したものであるが、(7)、自賠責保険から合計二、五四五万二、九二一円の支払をうけたことは原告らの自認するところであるから、右支払を弁護士費用以外に各二分の一宛ずつ充当し、結局、残損害が原告水間善次郎の関係で、(1)、逸失利益相続分二、〇七八万二、三〇二円、(2)、亡水間直樹慰藉料相続分一七五万円、(3)、同原告固有の慰藉料一七五万円、(4)、医療費二万三、四〇〇円、(5)、葬儀費用五〇万円、(6)、弁護士費用一〇〇万円、合計二、五八〇万五、七〇二円から右支払の半額一、二七二万六、四六〇円を差引き一、三〇七万九、二四二円、うち弁護士費用一〇〇万円、原告石橋ユキヱの関係で、(1)、逸失利益相続分二、〇七八万二、三〇二円、(2)、水間直樹慰藉料相続分一七五万円、(3)、同原告固有の慰藉料一七五万円、合計二、四二八万二、三〇二円から右支払の半額一、二七二万六、四六〇円を差引き一、一五五万五、八四二円となる。

以上により、原告らの本訴請求は、被告和田山精機株式会社に対し、原告水間善次郎が右残損害金及びうち弁護士費用を除く一、二〇七万九、二四二円に対する本件事故の翌日、昭和五一年一二月六日以降完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金、原告石橋ユキヱが右残損害金及びこれに対する右同様の遅延損害の各支払を求める限度で正当であるから、右部分の請求を認容すべく、その余を棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条、仮執行宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 田中貞和)

別紙1 計算書

1 亡水間直樹は昭和50年4月より加古川刑務所に勤務し、死亡当時公安職俸給表(一)7等級4号俸であつた。

直樹は生存していれば、別紙の計算書2のとおり前記俸給表7等級5号俸、同6号俸、同7号俸と毎年一回昭和65年7月1日(同18号俸)まで順次昇給し(現在看守は前記俸給表(一)7等級に格付されているが、看守10年以上の経験がある場合定数の範囲内で主任看守に昇任出来、俸給表(一)6等級に格付される。しかし少くとも15年もすれば殆んど6等級に格付されている)したがつて15年経過した昭和66年7月1日に6等級16号俸、次いで同17号俸、更に18号俸と毎年一回昭和83年7月1日(6等級33号俸)まで順次昇給する。以後は俸給表枠外となつて、昭和83年7月1日より18ケ月後の昭和85年1月1日に6等級33号俸と同32号俸の差額金2,700円が昇給し、6等級枠外1として本俸249,000円となり、それより2年後の昭和87年1月1日に前記差額金2,700円が昇給し、6等級枠外2として本俸251,700円となり、その後2年毎に前記差額金2,700円が昇給額となり、順次昇給して行き、昭和91年1月1日に6等級枠外4の257,100円となり、60歳となつた昭和92年4月1日に退職勧奨により退職となる。

退職勧奨の場合は2号俸昇給するので、本俸は6等級枠外6として、262,500円となる(甲第4号証の8参照・証人小山調書28項)。

以上の給与の具体的金額は別紙2計算書のとおりである。

2 期末手当(一般職の職員の給与に関する法律第19条の3)は、

毎年 3月15日 俸給月額の百分の50支給

〃 6月15日 〃百分の140支給

〃 12月5日 〃百分の200支給}となつていた。

勤勉手当(一般職の職員の給与に関する法律第19条の4)は、

毎年 6月15日 俸給月額の百分の50支給

〃 12月5日 〃百分の60支給}となつていた。

3 超過勤務手当(一般職の職員の給与に関する法律第16条)は、

俸給月額×12/48時間×52×125/100=1時間当りの単価×1ケ月の超過勤務時間=1ケ月分の超過勤務手当

となつており、直樹は死亡当時の超過勤務時間は1ケ月約33時間であつた。

4 夜勤手当(一般職の職員の給与に関する法律第18条)は、

俸給月額×12/48時間×52×25/100=1時間当りの単価×1ケ月の夜勤時間=1ケ月分の夜勤手当

となつており、直樹は死亡当時1ケ月約35時間であつた。

5 夜間特殊業務手当(人事院規則9―30第23条の2、6号)は、夜間勤務した場合に1回520円となつており、直樹は死亡以前は1ケ月に約10回夜間勤務していた。

以上の2ないし5の各手当の具体的金額は別紙2計算書のとおりとなる。

6 退職手当(国家公務員等退職手当法)は、退職時の俸給月額に退職理由別支給割合一覧表に対応する率を乗じた金額を支給されることとなつていた。

直樹は身体健全であつたので、退職勧奨年齢である60歳に達するまで42年間勤務することができた筈である(なお死亡時に退職手当84,400円支給されているのでこれを控除する)。

以上を算定の基準として直樹の具体的な逸失利益を算定すれば別紙4のとおり587万9,944円となる。

7 退職後は67歳まで何等かの職について少くとも賃金センサス昭和50年第1巻第1表年齢階級別きまつて支給する給与額のうち、全労働者の産業計の男子の平均賃金の収入はあげ得た筈である。

以上を算定の基準として直樹の具体的な逸失利益を計算すれば、別紙5の計算書のとおり210万0,890円となる。

別紙2 計算書

<省略>

別紙3 計算書

<省略>

別紙4 退職金計算書

退職時の本俸 262,500円

257,100円+(2,700円×2)=262,500円

262,500円×69.3×0.32786885=5,964,344円

5,964,344円から支給済の退職金84,400円を控除すれば5,879,944円となる。

退職金 5,879,944円

別紙5 退職後就労可能年齢までの逸失利益の計算書

<省略>

別紙6 計算書

<省略>

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